1981年、父親は母親共にサラリーマン、祖父母は農業を営んでいる家庭に生まれました。
出身は静岡県のとある田舎。
1980年代ということでバブル時代の真っただ中、幼少時代は何不自由なく育ちました。
毎週日曜は決まったようにレストランで食事をとり欲しい物はある程度懇願すれば買ってもらえる今考えるととてもいい時代でした。
小学校に入学してからは私の現在の性格が確立したと言っていい程重大な出会いがありました。
それは小学校3年生の頃のクラス担任との思い出です。
小学校2年生までは勉強の成績は決していいとは言えませんでしたがテストではまずまずの点数を取ることができてました。
しかし小学校3年生になりクラスの担任が新しくなったところでそれまで活発だった少年から内気で自信のない少年に変わってしまったのです。
何があったかと言うとそれは体罰でした。
授業中に先生に聞かれた問題に対して発表し間違ったり自分の思い通りにならないと木製の”学級委員”と書かれてあるブロックで頭を叩かれたのです。
相撲の中継をテレビで見ていると後ろで行司が
枕木を持って”キッ キッ”と音を出してますが、私が叩かれた木製のブロックも同じような音がなり相撲中継を見るたびに今でもあの日のことを思い出します。
私が絵画コンクールで入賞し褒めてもらえると思ったら
「今回の入賞はお前の絵が上手い訳でなく、色使いがただ良かっただけ」
と吐き捨てられる始末。
その日から私の絵には色がなくなってしまいました。
その後、極度の勉強嫌いとなりその影響は小学校5、6年時まで続きテストでは0点を連発する
ほどでした。
発表して間違えたら叩かれる。
自分の発言が原因で叩かれてクラスの全員の前で恥ずかしい思いをするなら何も発表しないで誰かが私の代わりに犠牲になればいい。
そう思いついた瞬間から自分が空気のような目立たない存在になるように徹し消極的で内向きな性格になってしまっていたのです。
『このままではまずい。自分を変えなくては』と思ったのが中学校に入る小6の春休みのこと。
塾で英語も習い始めたため一念発起を決意しました。
努力の甲斐あってか勉強の成績は中の上にまで何とかなることができました。
しかし、内気な性格はなかなか治らず中高と吹奏楽部に所属し全国大会に出場し金賞をとるほど活躍しましたが心のトラウマは晴れず、気が弱く、声が小さいと典型的な営業に向いてない性格のままでした。
高校が大学の付属高校だったため、そんなに苦労せずに大学に入学。文系の学部だったのでここでも大きな苦労をせず卒業し、その後は地元静岡のホテルに就職しました。